コロナ過で巣ごもり状態です。今日は5月5日の端午の節句、子供の日です。皆さんのところには子供たちはいますか?私たちの地域の子どもは数えるほどしかいません。子供たちがいないととっても寂しいものですね。
昔の子供の日
私は団塊世代(昭和22年~24年生まれ)より10年ほど若いですが、昭和40~50年代は近所にいっぱい子供がいて、また同級生もいっぱいいた時代でした。
そして、昭和60年代ころから平成の初めごろまでをピークに、その子供たちや同級生が結婚して(私も含めて)子供がいっぱい生まれました。
3月3日の桃の節句、5月5日の端午の節句は近所や職場の同僚、友人、先輩、親戚の子供のお祝いにお呼ばれしていました。私は御祝儀袋をもってお祝いに行っていました。
ただ、ご馳走も毎日毎日いただくとちょっと飽きてしまうのです。(今考えると贅沢です。)
特に5月のゴールデンウィークは、連日端午の節句のお祝いが催されます。多いときはお昼に職場の同僚の子供のお祝いに参加し、夕方には親戚の子供のお祝いにも参加していました。
せっかくのゴールデンウィークもお祝いに参加するのが日課で、自分の家族との時間はなかったのを覚えています。
今ではその頃に生まれた子供たちの多くが地元を離れて仕事について、成人になり結婚してその地域で子供を育てているんですね。
我が家もそのとおりで、長女家族は遠方で、家族5人で生活しています。どこのお家も一緒ですね。
鯉のぼりの由来
5月5日の端午の節句といえば、鯉のぼりがあがっていました。近所に、鯉のぼりがあがると、あのおうちには男の子が生まれたんだとほっこりした気持ちになったのを覚えています。
この鯉のぼりの意味は男の子の誕生と健やかな成長を願うものとされていますが、少し詳しくみてみましょう。
鯉のぼりの由来
鯉のぼりは江戸時代の中期頃に誕生したと言われています。江戸時代には、鯉が滝を登る仕掛けのおもちゃもありました。端午の節句には、当時から男の子の誕生と健やかな成長を願い、外に飾る幟(のぼり)にも鯉が描かれていました。
そこから鯉を吹き抜けにしようと考え出されたといわれています。
鯉のぼりは、初めから大きなものではなく、その幟についていた小さな旗でした。そして、泳ぐ姿が人気となり次第に大きくなっていったといわれています。
鯉のぼりは、現在でこそ、綿やポリエステル、ナイロンなどを使用して作られていますが、当時は和紙を使用したものが大半で、雨にも弱く、揚げたり下ろしたりも一苦労だったと言われています。
古くから鯉のぼりはあったんですね。
我が家では子供に男の子がいないの(娘二人です。)で鯉のぼりをあげたことがありませんが、親戚、友人から「鯉のぼりの管理は大変」と聞いていました。
私たちの時代ではポリエステル、ナイロン素材の鯉のぼりでそこそこ強度があるのですが、やっぱり強風や大雨の時は鯉のぼりを下におろしたり、取り外したりして管理していたそうです。
お父さん・お母さんは、子供が生まれたときから、いろんなことに一生懸命かかわりあって育ててきたんですね。
最期に
ゴールデンウィーク最後の休日、端午の節句です。ちょっと嬉しい話がありました。
近くに住む、甥っ子に彼女ができたらしく、結婚を前提につきあっているとの情報でした。
順調に交際が進み結婚して桃の節句や端午の節句のお祝いができればいいなあと思っています。
また、私たちの地域でも人口流出に少しでも歯止めがかかって、若い人が地域に残って、鯉のぼりがいっぱいあがるのを願っています。