ほとんどの人が知っている、トシちゃんこと田原俊彦さんが還暦(60歳)なったと報じられていましたので同世代として紹介します。
トシちゃんのプロフィール オフィシャルサイトより
- 出生名 田原俊彦
- 別名 トシちゃん
- 生年月日 1961年(昭和36年)2月28日
- 出身地 山梨県甲府市
- 学歴 山梨県甲府工業高等学校卒業
- 職業 歌手、俳優、タレント
- 担当楽器 ボーカル
- 活動期間 1979年~
- 事務所 ジェイブレイブ
2月に60歳になられたんですね。私より三歳年下なので同じ年代をたどってきた人として親しみを感じる(勝手にですが)トシちゃんになります。
最初にトシちゃんを知ったのが、1980年にヒットした「哀愁でいと」、(^^♪バイバイ哀愁でいと~でした。次のシングルの「ハッとして!Good」もよく覚えています。あれから40年経つんですね。
このころは、スマホやPCはなく家庭ではテレビが王様の時代で、家に帰るとほぼテレビ漬けで、よく歌番組も見ていました。
そんな時にトシちゃんはテレビによく出ていました。売れっ子でした。印象に残っているのは足を高く振り上げて歌うのが得意でした。
この足を高く振り上げ、軸がぶれないターンのパフォーマンスは近年の講演でも健在らしいです。
これについてトシちゃんは「可動域を広げるストレッチでケガをしない体を作っている。」とコメントし、「昔よりキレや跳躍力は落ちたけれど、艶っぽく見せられるようになってきた。体は痛いけど。」とのコメントです。
トシちゃんでも体は痛いんですね。いつもやっているので痛みなどないかと思いました。いくつになっても仕事に対して痛みをこらえて努力を惜しまないで行動するのは大事ですね。
歌手デビューまでの経歴
Wikipediaの田原俊彦を見てみると、幼少時代に父が亡くなり、横須賀市より母の故郷であった山梨県甲府市に転居して、お母さんが一人で高校卒業まで育てられたそうです。
トシちゃんは芸能界に強い憧れがあって、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長に直談判し、ようやく入門を認められたそうです。
当初お母さんは、トシちゃんの芸能界入りは反対されたそうですが、上京するときは「やっぱり芸能界はむりだった、なんて言って逃げて来るんじゃないよ」と言って送り出したというエピソードがあります。
お母さんの励ましの言葉は、東京にきて右も左もわからないトシちゃんにとっては支えだったと思います。トシちゃんも芸能界へ入り芸能人になることにすごい熱意があったのでしょうね。
それから1980年の歌手デビューで、歌手・タレント・俳優と一躍スターのトシちゃんになりました。
トシちゃん還暦インタビューの一部
その後90年代にジャニーズ事務所から独立、仕事面で苦労もあったそうですが、「しんどいと思ったことはない」とトシちゃんは言い切る。
「ジャニーズは10代に夢を与える会社で、30歳を過ぎたら一人で歩かなきゃダメと考えた。平穏無事のままなら挑戦心が起きなかったかもしれない」とトシちゃんのコメント。
夜な夜な旬のアーティストをテレビや動画で見て「面白いダンスだなあと、まねている自分がいる」という。
「75歳ぐらいまで働かなきゃいけない時代に入りつつある。俺もきついよ」とぼやきながら、好きを追求してきた男はどこまでも快活だ。最後に「まあ笑っていきたいよね。ハハハハ」終了
77作目、記念シングル発売
今回77作目のシングルを発売されるそうです。「ヒットが一番のエネルギー」と気合を入れたシングルみたいです。曲名は「HA-HA-HAPPY」で「邪道、王道、道に名前なんてないぜ」と歌い、トシちゃんの人生観がにじむ歌になっています。
最期に
久しぶりに1980年代を思い出しました。お酒を飲むとトシちゃんの歌もカラオケで良く歌っていました。当時は朝の4時とかまで飲んで、8時30分のからの仕事には何ら影響もないように仕事をしていたのも思い出します。やっぱり若いし無理もきいたんですね。今は、夜の11時くらいには、ベッドに横たわっています。
今日は、自分の好きなことはトシちゃんのようにいつまでも追及できたらいいなと思いました。また、それをやることで健康維持につながったり今の生活が続けられると信じて行動したいと思います。
コロナ禍でカラオケも自粛中で残念です。コロナが終息して以前のような生活に戻ったなら、カラオケで「哀愁でいと」を真っ先に歌いたいと思っています。